レファレンス事例詳細
質問事項
質問内容タイトル | 東京拘置所の前身について |
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質問内容要旨 | 現在の東京拘置所はかつて煉瓦製造所だったと聞いた。その成り立ちとその後の変遷について知りたい。 |
受付日 | 2012年4月1日 |
質問種別(NDC) | 090 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション |
質問種別(NDC) | K54.91 |
質問種別(NDC) | 573 化学工業-セラミックス.窒業.珪酸塩化学工業 |
内容種別 | 葛飾区に関する質問 |
質問者 | その他 |
回答事項
回答内容要旨 | 『葛飾区史増補中巻』、『葛飾区史跡散歩(東京史跡ガイド22)』、『東京人-特集:葛飾区を楽しむ本-2012年3月増刊』、葛飾区ホームページによると、文明開化による明治初期の市街地改造、洋風化により煉瓦の需要が増えました。1872(明治5)年に小菅村に設立された煉瓦製造所は、英国人技師ウォートルスの指導によるホフマン式の輪かまどを用いて、良質の煉瓦を日本で初めて大量生産できるようになりました。その後1879(明治12)年に官営となり、1877(明治10)年の西南戦争で敗れた賊徒を多数収容し作業として煉瓦を焼かせました。『葛飾区史増補下巻』によると、1878(明治11)年に獄舎を建設し小菅監獄と名づけられましたが、1922(大正11)年に小菅刑務所に改められ現在は東京拘置所となっています。 |
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回答様式 | 質問事項に対する資料提供・紹介 |
事例作成日 | 2013年3月13日 |
参考資料
No. | タイトル | コメント | ページ | 評価 | 予約 | ★ |
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1 | 葛飾区史 増補-中巻 東京都葛飾区 編 東京都葛飾区 1985 | p.1032-1038 | お気に入り資料に追加する | |||
2 | 葛飾区史 増補-下巻 東京都葛飾区 編 東京都葛飾区 1985 | p.455-457 | お気に入り資料に追加する | |||
3 | 葛飾区史跡散歩( 東京史跡ガイド) 入本 英太郎/著 橋本 直子/著 学生社 1993.4 | p.145-148 | お気に入り資料に追加する | |||
4 | 東京人 2012年3月増刊-特集:葛飾区を楽しむ本 都市出版 2012.3 | p.52-54 | お気に入り資料に追加する |
参考URL
No. | リンク | 登録日 | コメント | 評価 |
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1 | 葛飾区ホームページ 葛飾区工業の歴史1(最終検索日:2013.2.1) | 2013年3月2日 |